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太平洋戦争の再検証。日本は本当に絶対悪なのか?米中対決を前に、正しい価値観を。


日本だけでも何百万人という死者を出した太平洋戦争。東条英機を首相とする当時の軍事政権は、多くの若者や父親を徴兵によって戦地へ送り込み、太平洋での決戦で連敗を重ね、日本全土を空襲と原爆の惨禍に晒しました。軍部や政府は戦争の責任を追うべきであると、戦後は一貫して非難されてきましたし、そういった教育も受けてきました。

しかし、当時の軍部や政府を批判するだけでいいのでしょうか。原爆を投下したアメリカは絶対的な正義でしょうか。日本を戦争へと追い込んだ、アメリカ、ソ連中国共産党には、悪意はなかったでしょうか。

現代の戦争を見ても、絶対悪や絶対正義など存在しているでしょうか。アメリカはウクライナをロシアとの戦争へ駆り立てはしなかったでしょうか。台湾危機をあえて煽ってはいないでしょうか?

戦争の惨禍を受けたくないのは、誰にも共通する願いです。しかし、ウクライナ侵攻や台湾危機など、日本にも驚異が迫りつつあるいまこそ、公平で公正な価値観をもって判断を下す必要があるはずです。

 

 

無謀な戦争へ突き進んだ責任

開戦前から、日米の国力の差は明らかでした。連合艦隊司令長官山本五十六も「最初だけなら暴れてみせましょう」と述べたように、緒戦の勝利を収められても、長く持ちこたえることはできないことはわかっていました。

勝てないとわかっていながら戦争へと突き進んだこと、敗戦の色が濃厚となってきても戦争を継続したこと、多くの国民の命を犠牲にしたことをひっくるめて、軍部や政府は当然、責を追うべきでしょう。

 

対米開戦は回避できなかった

しかしそもそも、「戦争へと突き進まない」という選択肢はあり得たのでしょうか。

1941年の開戦直前、日本は欧米各国からの経済制裁をうけており、石油の輸入がままならず、産業や軍事活度が停止する危機にありました。同時にアメリカからは、全ての植民地から撤退するよう要求された「ハルノート」が最後通牒として突きつけられていました。

太平洋戦争の目的は、経済制裁を乗り越えるべく、蘭印(いまのインドネシア)を占領して油田を手に入れることでした。この侵略戦争を起こす以外には、経済制裁を解除してもらうしかなく、その条件としてアメリカの要求をのみ、仏印ベトナムラオス)や中国、満州の植民地を全て手放す必要があります。

すでに日本の経済圏として重要であったこれらの地を手放すなどという選択肢は、当時の政権にも国民世論にもありませんでした。それならば、ナチスドイツとの戦争に注力するヨーロッパに対して、ガラ空きになった東南アジアを攻略するほうが現実的だったのです。

 

日中戦争も回避できなかった

欧米各国から経済制裁を受けた理由は、満州事変に始まり日中戦争至るまでの、日本の中国大陸への進出でした。中国大陸はかつて欧州各国の植民地であり、アメリカも市場獲得を狙っていました。それゆえに欧米各国は、中国大陸で勢力を拡大し続ける日本をこころよく思わず、制裁を課したのです。

とするならば、日中戦争を起こさなければ、経済制裁も招かずに済んだのではないか、と考えられます。しかし実のところは、満州事変や日中戦争そのものも、泥沼化する中国大陸情勢に、日本がずるずると引き込まれたものであったのです。

 

襲撃された日本人

1920年代、中華民国は実質的にヨーロッパ各国と日本の植民地となっていました。そこに、北から進出を狙う共産主義国ソ連は、中国共産党の結党を後押しする形で乗り込んできます。ソ連にとって満州で接する隣国日本は、最も重要な敵でした。そこでソ連共産党を通じ、中華民国の国民に強烈な排外運動、特に反日運動を展開させます。1930年代にかけて、多くの外国人、特に日本人が襲撃されました。

日本人への襲撃とソ連の進出を食い止めきれなくなると、日本は中国大陸での利益を守るため、いよいよ軍事行動に出ます。ソ連に接近した満州軍閥張作霖を暗殺し、ついには満州事変で中国東北部を傀儡国とします。なおも続く排日運動を抑えるための軍事行動として上海事変柳条湖事件(=日中戦争の開戦)へと進むのです。

最終的には国際社会から非難され、国際連盟を脱退することになる日本ですが、当時は自国民の保護のための軍事行動、ということで一定の支持を得られてもいました。特に中国大陸に植民地を多く持っていたイギリスも、排外運動の被害を受けていたため、日本に同調的だったのです。

植民地から脱したい中国の人々の気持ちも、排外運動の高まりも十分理解できます。しかし忘れてはいけないのは、相手は中国の人々ではなく、裏で糸を引くソ連という国家そのものであったということです。すでにソ連は日本に対して戦争をしかけていたといっても過言ではなく、日本は応戦するしかなかったのです。

 

戦争を回避していたら、今の日本は

もし、対米開戦を直前でやめたら、日本は今頃どうなったでしょうか。

経済制裁により石油は枯渇し、日本経済は停止します。経済制裁の解除にアメリカが同意するには、すべての植民地を手放す必要があります。そんなことをすれば国民世論や軍部は納得せず、やがては非戦派の政府は倒され、その後結局は対米開戦に舵を切ることでしょう。

開戦を抑止し植民地を手放し、反対勢力を抑えたとしても、すでに日本は植民地を失って丸裸。現代のようなアメリカとの同盟もないために、貿易による経済発展も望めません。石油の輸入すべくタンカーを動かそうにも、周囲を囲むアメリカの許可を得なければならず、実質的にアメリカのいいなりとならざるを得ないでしょう。貧しい国家としての地位に甘んじながら、アメリカの奴隷となるのです。

やがてはアメリカの奴隷として、冷戦の最前線となり、朝鮮半島ベトナムのかわりに、米ソ間の戦争の舞台となって荒廃するのです。

奴隷となることを拒めば、結局はアメリカによって制裁を受け、国民生活は一層貧しいものとなります。これを打破しようと戦争を挑めば、太平洋戦争と同じ結末を迎えることでしょう。

 

もう少しさかのぼって、日中戦争を回避していたらどうでしょうか。

高まる排日運動をうけ、中国での日本人の警護はままならず、いずれは大陸から撤退するはめになるでしょう。その空白を埋めるように、ソ連の援助を受けた中国共産党は全土を収めます。進出してきたソ連はさらに朝鮮半島を狙い、日本と対立をはじめます。

中国で拡大するソ連にはアメリカも黙っておらず、歴史通りに米ソ対決が始まります。日本は、朝鮮半島を奪おうとするソ連、日本からすべての植民地を奪ったアメリカ、その2大国間で揺さぶられることになります。ソ連と和解すれば朝鮮半島は守られるものの、対米対決の矢面に立たされます。アメリカと和解してもソ連の矢面に立たされるだけです。結局のところ、大戦争勃発の火種はくすぶり続け、日本に平和や経済発展が訪れる見込みはないのです。

 

戦争を途中でやめていたら、今の日本は

開戦が防げなかったとしても、玉砕や特攻、本土空襲といった無謀な消耗戦が始まる時点で降伏していたらどうでしょうか。多くの国民の命を救うことはできたでしょうか。

日本が再起して再び戦争を挑んでくることを防ぐことから、アメリカは降伏の条件として、植民地の放棄と軍縮をを要求するでしょう。しかし、太平洋やアジアにはまだ多くの日本軍の兵士が駐留しており、軍部はそんな簡単に撤退に同意するとは考えられません。空襲の被害も少ないうちでは、国民世論もそれを認めないでしょう。そもそもアメリカも、日本軍を殲滅するまでは降伏を認めない可能性すらあります。

仮に政府が押し切って降伏に導いたとしても、やがては政治家、軍人、国民世論は失地の回復を叫ぶことでしょう。軍事力を削がれた日本は、アメリカと組んでソ連と対抗し中国大陸への再進出を図るか、ソ連と組んでアメリカに再度太平洋戦争を挑むか、いずれにせよ結局のところ、国民を巻き込んだ戦争へと突入するのです。

仮に世論をも抑え込み、平和路線を歩んだとします。しかしいまの日本とは異なり、日本を占領下においたわけでもないアメリカは、日本を信用してはいません。周囲をアメリカに包囲されている日本には自由貿易などままならず、今日のような経済発展は訪れることなどなく、貧しい国として生きながらえることになります。

 

玉砕や特攻は無駄死にか?

玉砕や特攻など、自国民の命を散るよう命じた当時の軍部や政府は、疑いようもなく非難の対象となっています。ただ見逃してはならないのは、アメリカ兵は命を賭けて挑んでくる日本兵に恐怖を抱き、一定の成果を挙げたという事実です。

玉砕覚悟で挑んだ硫黄島の戦いでは、艦艇も航空機も不利な状況下で、アメリカに対して多大な損失を与えました。沖縄戦では玉砕攻撃を恐れてか、多くの壕がアメリカにより、民間人もろとも火炎放射器で焼き払われたといいます。

日本人を玉砕や特攻に向かわせるために用いられたのは、もちろん天皇への忠誠心でした。もし日本が8月15日で降伏しなけれは、本土での壮絶な陸上戦「ダウンフォール(滅亡)作戦」が行われる予定であり、そこではアメリカも多大な損害を予期していました。それよりも、本土上陸を前に降伏させたいアメリカは天皇への忠誠を利用します。無条件降伏のポツダム宣言に「天皇制の維持」という条件をつけ、天皇への忠誠をもって、日本国民を降伏に従わせることに成功したのです。

結果として、我々は天皇を中心とした日本という国の形を残すことができました。もし天皇の存在がなければ、降伏に反対する勢力とで権力闘争、武力闘争が起き、その対立を利用してアメリカやソ連が日本で暗躍して対立の舞台となり、この国はバラバラになっていたことでしょう。

悲劇であり、かつ軍部の悪行の代表とされた玉砕や特攻も、決して無駄死にではなかったのです。つたない戦略と愚策の特攻作戦ではあったものの、未来と命を賭して戦地へ赴いた英霊たちは、確実に現代日本の繁栄の礎であったのです。

現に、いまのウクライナは、絶望的な状況下でも徹底抗戦しています。国を奪われたら未来があるなどとは到底考えられないからこそ、最後の一人になるまで戦っているのです。

 

米中対決とどう向き合うか

太平洋戦争において、日本は絶対悪であったわけではないことは、ここまで述べてきました。ソ連アメリカによって、開戦へと導かれたと言っても過言ではないのです。

現在のウクライナ危機はどうでしょうか。冷戦後、旧ソ連圏として緩衝地帯であったウクライナを、21世紀に入ってからEUNATOから接近していき、勢力圏に取り込もうとしていました。これにロシアがなんの反応も示さないわけがありません。アメリカはあえてロシアに戦争をさせ、ロシアの国力を削ごうとしたと、見ることもできます。それも、アメリカ人兵士ではなく、ウクライナ人の犠牲をもって。

 

台湾危機はどうでしょうか。たしかに中国は勢力拡大を目ざし、香港、そして台湾と手中に収めようとしています。しかし同時にアメリカも、世界の覇権を中国に渡すまいと、中国の国力を削ぐタイミングを伺っています。日本も中国からの防衛策として、南西諸島の基地を強化していますが、その基地にはアメリカ軍も展開することになっています。

これらから見えてくることは、アメリカはあえて台湾危機をあおり、台湾と日本の米軍基地のある南西諸島を攻撃させ、日本の自衛隊も参戦させて、中国と対決しようとしている、ということです。戦場はアメリカ本土ではなく、台湾と日本列島とすることで、アメリカの損失なく中国を損耗させようという戦略です。

 

現在の世論は、中国の拡大に対抗するため、防衛力の増強とアメリカとの同盟強化に傾きつつあります。しかし、日本を戦場とするこの方向は、果たして望むべき道でしょうか。

 

中立政策は現実的か

もう一度、この国は戦争に敗れてはいけません。ふたたび国土が荒廃すれば、もう再生するチャンスはないでしょう。アメリカに付き従って中国と戦争になれば、滅亡が待ち受けています。

だからこそ、中国と対立するつもりはないことを明確にしつつ、軍事力を強化して抑止力を高めるのです。インドやトルコなどの地域大国は、アメリカともロシアとも適度な友好関係を結び、中立的な立場を保ってきました。これらの国々との同盟により、アメリカでも中国でもない第3極を構築するのです。アメリカが許さないでしょうが、先んじて同盟結成へ動き、アメリカによる妨害をうけないほどの世界的潮流を生み出すのです。

ただ、対立の最前線にある国家が中立を維持することは非常に困難であることも確かです。20世紀初頭、ドイツの宰相ビスマルクは、敵対していた西のフランスとも東のロシアとも同盟を結び、中立による平和を模索しました。しかし長続きはせず、あとは歴史どおりの荒廃をみます。

中立を維持するのは、為政者に、とても高度で難易度の高い政治力が求められます。しかし、国民の高い理解で世論を導きつづければ、十分可能なはずです。

 

 

そろそろ、一方的な自虐史観を改め、太平洋戦争を見つめ直すときがきています。来たる「次の戦争」を回避するために、国民ひとりひとりが考えなければなりません。